これは、私が保育園で園長をしていた頃の話です。

この子の名前は、みいちゃん(仮名)。お話が上手で、歌をうたうのが好きな、元気で陽気な2歳の女の子。
ときどき、誰もいない場所に向かって話しかけたり、見えない誰かと遊んだりしています。
みいちゃんが、よく話しかけていたのはおばあちゃん。
「おばあちゃん、どうぞ!」
と、誰もいない場所にお皿を差し、おままごとを楽しむことがありました。
あるときには、
「おばあちゃん、トイレで飛んでた」
と話したこともあります。
その言い方があまりにも自然だったので、こちらも思わず
「え? おばあちゃん……飛んでた?」
と聞き返してしまったほどです。
「みいちゃんのおばあちゃん?」
と聞いても、
「違うよ」
と答えるだけ。
何のことなのかは分からないままでしたが、保育士のあいだでは、少し不思議な子だという印象が残っていました。

初夏のある日、公園で遊んだ帰りに、子どもたちとお散歩をしながら消防署の前を通りかかりました。

すると、消防隊員の方が、
「消防車、見ていっていいよ!」
と声をかけてくれたのです。

子どもたちは大喜び。
消防隊員の方が抱っこをして、子どもたちをかわりばんこに消防車の助手席へ乗せてくれました。
そんな中、みいちゃんだけが少し離れたところから、不安そうに消防車を見ていることに気づきました。

「どうしたの? のらないの?」
と声をかけても、みいちゃんは「やだ」と首を横に振ります。
一人で乗るのが怖いのかなと思い、
「一緒に行こう」
と手をつないだ、その瞬間でした。

「やだ! やだ!」
普段のみいちゃんからは想像できないほど、大きな声で拒否したのです。
突然のことに、周りにいた子どもたちも保育士も消防隊員の方も驚いていました。

そして、みいちゃんは消防車の方を指さしながら、
「黒い!」
「こわい!」
と泣き出しました。
慌てて抱っこをして、その場から少し離れると、みいちゃんは次第に泣きやみ、いつもの様子に戻っていきました。

その場にいた大人たちは、一瞬言葉を失って顔を見合わせました。
消防署という場所で、
「黒い」「こわい」
その言葉から連想するもの――。
その瞬間、私たちのあいだに、ぞっとするような空気が流れました。
あのとき、みいちゃんには何が見えていたのでしょう。
今でも、消防署を見ると思い出します。
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